はじめまして、里山野雀です。
お立ち寄りいただき、ありがとうございます。
わたしの自己紹介をさせていただきます。
性格は、内気で真面目、加えて不器用なものですから、
これまでのところ、冒険の旅に出たことはなく、
世間をわたるのにも流れの緩やかなところを
そろそろと渡ってきたような印象です。
もともと、平和に穏やかに暮らすことが性に合っていて、
仕事においても家庭においても
居心地のよい空間ができあがるように
思い描いているところがあります。
楽しみは家族と過ごすことで、
子どもたちの成長が自分への何よりのご褒美です。
内気な性格ゆえの人との距離感にも苦労してきましたが、
それでも、最近、人との交わりのなかに、
淀みなく水が流れていくような心地よさを感じることが多くなり、
歳を重ねていくと人付き合いも上達するものだと
妙に嬉しく思うことがあります。
なかなか成果の上げられない自分に
嫌気が差すことも少なくなかったのですが、
「まあ、しょうがない」
という持ち前のお気楽さでこれまで生きてきました。
ところが、
人生の折り返しに差し掛かろうとしていた、
そんなとき、
激震が走りました。
大きな転機となったのは、
特別ユニークな上司との出会いです。
その上司から繰り出されるメガトン級のストレスが半端なく、
毎日その爆風にさらされ続け、
わたしの気力や体力は日に日に衰えていきました。
不眠症が続き、心の安定を保つために
薬が手放せない生活が長期間続いたのです。
それでも、仕事を休む罪悪感から、
寿命の縮む思いで這いつくばうように出勤して
仕事を続けていたのですが、
いよいよ持ちこたえられなくなったとき、
わたしの体を救ってくれたのはジョギングでした。
気力も体力も奪われ、
何も手につかなくなってしまい、
このままではまずい・・・
と恐ろしさから逃げ出したい一心で走りはじめたのです。
たしかに走ってみると、
清々しく、充実感を感じられました。
なぜか気持ちが前向きになっていきます。
それからは、ジョギングの力を頼りに、
少しずつ自信を取り戻していったのです。
悪夢にうなされた3年間が過ぎ去ると、
気力や体力も徐々に戻ってきて、
薬に頼らなくてもすむ体にまで回復できたのです。
毎晩、夜中に目が覚めては、
悲観的な記憶に苦しみながら朝を迎える
ということも少なくなりました。
あの暴風雨が過ぎ去ると、
健康の大切さが身にしみて感じられました。
以前、わたしを覆っていた見栄や嫉妬心なども崩れ去り、
その代わりに、
ストレスを上手く受け流す術を身に着けたように感じました。
あのとき、ジョギングを続けていてよかったなとしみじみ思います。
走ることで脳内が幸福物質で満たされ、
こころが穏やかになります。
困ったことに直面しても簡単にはへこたれない。
踏ん張って乗り越えることができるのです。
気持ちが落ち込んでどうしようもなかったとき、
最後の最後に、ぐっと踏ん張ることができたのは
わずかに体力が残っていたから。
こころと身体はつながっていて、
言ってみれば「こころの体力」というようなものを
蓄えていくことで生活も豊かになると感じています。
お伝えしたいこと
わたしは、もともと運動が好きで、
ジョギングは子どもの頃からの習慣で、よく走っていました。
社会人になってからは、
ジョギングが続けられなくなるような危機が
他にも何度かありましたが、
それでも、運動を続けたことが
疲れにくい余裕のある身体をつくってきたのだと実感しています。
特に、働きながら健康を維持していくことは難しいと
感じている方も多いと思いますが、
運動を習慣にしていくことができれば、
今よりも生き生きとした生活が手に入ります。
いつまでも若々しく暮らしていけるということなのです。
ジョギングやウォーキングであればお金だってかかりません。
体に無駄な脂肪がついてきたなと思えば、
走るスピードを少し上げるだけです。
糖尿病にも高血圧にも、
お金をかけずにできる最も効率的な成人病対策です。
年齢に抗い行動できる自分をつくる最強の武器と言えるでしょう。
気力や自信が溢れてきて、冒険の旅にも出られます。
人生を一緒に旅してくれる相棒のように心強い味方なのです。
できるだけ体力にまだ余裕のあるうちから、
体を動かすことを習慣として
体になじませておくことが大切だと思います。
それには、小さな一歩から始めることです。
1日5分から始めれば大丈夫。
どうしてもめんどくさくて一歩が踏み出せない方は、
こちらの記事も合わせてご覧いただけると幸いです。

追伸
「闘争か、逃走か」
ピーター・ドラッカー も経営論の中で「組織の問題の多くは、人間関係に起因する」と指摘しているように、人間関係の悩みは尽きることがありません。
わたしの場合も、その一例に過ぎないのかもしれません。
しかし今思い返してみると、あのできごとは何だったのかと困惑せずにはいられないのです。
あの時は、毎日襲ってくる上司からの恐怖にただ耐えるだけで精一杯でした。
というよりも、これまでの長い人生経験で、あのような体温が感じられない、冷徹なやり取りを体験したことがありませんでした。
そのため、驚き、慌て、対応ができなかったのです。
明らかに普通ではない。
そう感じたわたしは相手を毎日観察し続けました。
朦朧として、集中力のなくなった頭で、人について猛勉強を始めました。
知れば知るほど深まる人間の闇。
その結果、ある程度わたしのなかに確信できたのは、脳の発達に問題があるのではないかということです。
「そのうち分かってくれるだろう」などと呑気な見通しを立てていたことを後悔しました。
このままではまずい・・・
そう感じた時には、わたしの体は衰弱しきっており、なんの抵抗もできなくなっていました。「自分の力ではなにも変えられない」と絶望のどん底にいたのです。
出会ってはいけない人と出会ってしまった。
闘争か、逃走か。
人間関係において即決を迫られる場面があるということです。
素早く行動しないと自分が破壊される・・・。
「そんなことはめったにないから大丈夫」そう思われるでしょうか。
ある情報では、人口の2〜3%は存在するのではないかともあります。
そうです、あなたのすぐ隣りにいるかもしれないのです。
そして、組織の中で上司と部下のように固定された関係になってしまうと厳しい場面がやってきます。
それからもう一つ分かったことがあります。
このような人間は、往々にして優秀な人間が多く、組織の中では上の立場にいることが多いようです。
相手に有無を言わせぬ物言いは、組織にとっても都合がよいのでしょう。
諸刃の剣であるこのような人物を組織の中で活かすにはどうするか。
そう、部下として「潰れ役」を置くことです。
潰れ役が存在すれば、組織がうまく機能していくということです。
わたしはその人の異動履歴を調べてみました。
すると、異動した先々で部下が潰されていたのです。
実力主義、自己責任のもと、潰されることが分かっていて、なにも知らない抵抗しなさそうな人間を配置しているのです。
これを確信したとき、わたしは愕然とし、血の気が引くのを感じました。
組織のためにと頑張ってきた自分は何だったのか。
これはわたしの組織だけの例外ではないでしょう。
世間でも取り返しのつかない事態に発展した事例がニュースになることがあります。以前よりも頻繁に耳にするようになりました。
それを聞くたびに、こんなことがあってはならないととても残念な気持ちになります。
表面化するのは氷山の一角で、きっと苦しい立場に立たされている人たちが大勢いるのではないでしょうか。
しかし、そのような時でも、組織はなにもしてくれません。そんなことに対応できる余裕などないのです。
これほど特殊な状況ではないにしても、気の優しい性格であるがために弱い立場に立たされたり、人間関係の軋轢で精神を破壊され、長い闘病生活を送らなくてはならなくなることは少なくありません。
昨今のような希薄な人間関係の中では、一度うつ病などの精神不安に陥ってしまうと、周囲からは奇異の目で見られ、仲間も離れていってしまいます。
あなたはこの苦しみから、たった一人で脱出しなくてはならないのです。
だから、わたしはその人たちの助けになれるように、うつ病を克服する方法を発信していきたいと思っています。
社会の中で生きづらさを感じている人たちが少しでも楽になれるように、
人間関係において、ストレスを上手く受け流すすべを身に着けていただけるように応援していけたらと考えています。